【12月】「知らぬは大人ばかり」とならないために ~ネットいじめに対して~
昨年度6年生を担任していた時に、「かつては、このようなトラブルはなかった」ということに出会った。インターネットの掲示板のトラブルだ。同じ学級内でパソコン好きな子どもたちがグループを作って、ネット掲示板でやりとりをしていた。その中で一人の子が、友達を実名でプライバシーを書き込んだというものだ。家庭で行っていることであるが見逃すことはできない。訴えに真摯に対処をした。
今やケータイは子どもたちがもっていて珍しくないツールになった。ケータイがなくても、家の中でパソコンを使っている子どもも多い。そこから、新たに「ネットいじめ」が生まれてきた。インターネット上でのいじめである。匿名性が高いためいじめた意識が薄い、監視者がないために増長しやすいという特性をもつ。その急増に文部科学省も、今年の1月にいじめの項目の中に組み入れた。最近は、「学校裏サイト」がマスコミ等で取り上げられるようになり、ネットいじめへの理解も以前よりは深まってきている。
しかし、「本校は大丈夫だろう」「情報モラル教育をしている」といった意識で、その対応が十分ではない学校が多いのではないか。
一つのアンケート結果がある。「アイポリス・ネットいじめアンケート」というものだ。それによれば、「ネットで中傷やいじめの被害にあったことがありますか?」という質問に対して6割が「ある」と答えている。しかも、その子どもたちのうち、相談したケースの多くは友人であり、家族や教師の割合は非常に低い。「知らぬは大人ばかり」という状態になっていることが推測できる。
具体的な解決策は教師であればいくつかすぐに思いつく。たとえば、フィルタリング機能(有害情報を遮断する機能)を使わせる。情報モラル教育をより充実させるといったことだ。しかし、実際にケータイやパソコンは家庭の所有物であり、保護者が設定しない限りフィルタリング機能は働かない。さらに情報モラル教育は行われているだろうが、それでも実際にネットいじめがあるのなら、その教育はきわめて形式的な子どもたちの心に響かないものになっているのではないだろうか。
そのことを考えたら、私は保護者への啓発や情報モラル教育はもっと大胆であってもいいと考える。たとえば、ネットいじめの講演会を開催し、「これだけひどいいじめが行われています」という事実を示す。「もし、ネットいじめにあったら」といったテーマでその対処法を具体的に話し合う授業を行うといったことである。
「そこまで大げさにしなくても」「寝た子を起こさなくても」といった声があるかもしれない。しかし、それこそ「事実を知らない大人の声」である。子どもたちが傷ついてからでは遅いのである。
(佐藤 正寿)
今やケータイは子どもたちがもっていて珍しくないツールになった。ケータイがなくても、家の中でパソコンを使っている子どもも多い。そこから、新たに「ネットいじめ」が生まれてきた。インターネット上でのいじめである。匿名性が高いためいじめた意識が薄い、監視者がないために増長しやすいという特性をもつ。その急増に文部科学省も、今年の1月にいじめの項目の中に組み入れた。最近は、「学校裏サイト」がマスコミ等で取り上げられるようになり、ネットいじめへの理解も以前よりは深まってきている。
しかし、「本校は大丈夫だろう」「情報モラル教育をしている」といった意識で、その対応が十分ではない学校が多いのではないか。
一つのアンケート結果がある。「アイポリス・ネットいじめアンケート」というものだ。それによれば、「ネットで中傷やいじめの被害にあったことがありますか?」という質問に対して6割が「ある」と答えている。しかも、その子どもたちのうち、相談したケースの多くは友人であり、家族や教師の割合は非常に低い。「知らぬは大人ばかり」という状態になっていることが推測できる。
具体的な解決策は教師であればいくつかすぐに思いつく。たとえば、フィルタリング機能(有害情報を遮断する機能)を使わせる。情報モラル教育をより充実させるといったことだ。しかし、実際にケータイやパソコンは家庭の所有物であり、保護者が設定しない限りフィルタリング機能は働かない。さらに情報モラル教育は行われているだろうが、それでも実際にネットいじめがあるのなら、その教育はきわめて形式的な子どもたちの心に響かないものになっているのではないだろうか。
そのことを考えたら、私は保護者への啓発や情報モラル教育はもっと大胆であってもいいと考える。たとえば、ネットいじめの講演会を開催し、「これだけひどいいじめが行われています」という事実を示す。「もし、ネットいじめにあったら」といったテーマでその対処法を具体的に話し合う授業を行うといったことである。
「そこまで大げさにしなくても」「寝た子を起こさなくても」といった声があるかもしれない。しかし、それこそ「事実を知らない大人の声」である。子どもたちが傷ついてからでは遅いのである。
(佐藤 正寿)
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